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清流氣功 その三十七 社会問題と生命の大切さと尊さ 

今回は 前回に引き続き社会問題から

私達の本来の在り方を見直していきたいと思います

 

私達の社会では 様々な職場で

【この人は戦力になる・ならない】とか

【仕事が出来る・出来ない】とかで人を判断してしまいますが

本当に 一人一人のありのままの姿勢や存在を

ちゃんと認識して 受け入れているかが最も大切なはずです

 

それぞれの職場で どれだけ貢献しているかが基準になり

それぞれの組織に無理矢理自分をはめ込んで

やがて自分自身を見失っていくようになります

 

そこに本当の幸せや喜びもあるはずがなく

何かの売り上げや利益をひたすら追求し

他者と争い 組織同士でも争い

国や企業が 対立や合併・吸収しながら

ずぅっとずぅっと終わりのない戦いをしています

 

人々を無理矢理 変てこな労働にはめ込み

まるで作業ロボットのように扱い

都合が悪くなれば 人なのにポイ捨てするかのように扱います

 

社長や会長や経営者などの立場の人達は

自分達の組織で汗水たらして現場で働いている人々の

顔や名前をちゃんと把握しているでしょうか?

 

今の巨大になり過ぎた組織では 難しい話になります

現場で誰かがぶっ倒れても 病氣になっても

新しい人・労働力を入れればいいと考えているのでは

ないのでしょうか?

 

本質的には 経営者だろうが雇う立場だろうが

現場で働く従業員でも 生命や存在の価値は常に等しく一緒なのです

 

どんな組織も現場で働いてくれる人達や 

様々な部署で働いてくれる人々がいて 成り立っているはずです

 当たり前のことだけど 現場で働いてくれている人々が

一斉にいなくなったら どんな組織でも潰れてしまうからです

 

つまり立場的にも 本当は全ての人々は平等なはずなのです

 

殆どの職場では 仕事に穴が空いたら同僚の迷惑になると

思って無理して みんな頑張ってしまいます

 

そうやって無理して みんなが働いていて

使えるはずの有給や正統な休みを 中々使えずにいたり

定時で上がりたくても 上司や他のみんなが頑張っているから

上がれなかったりして やがてぼろぼろに疲れてしまいます

 

私達が関わる全てのものに『氣』が宿っています

 

そこには それを生むのに関わった全ての人の氣が宿ります

 

さらにその原料となる資源や素材 すなわち自然の氣が宿っています

 

そして物には物の氣が宿っているのです

 

私もかつて食品工場で働いていましたが 

【ああしろ!こうしろ!】と命令して怒鳴ったり

無理な長時間労働で 疲れ切っている中では

『もっとより良いものを生んで 色んな人に喜んで欲しい』

といった情熱や喜びの氣は失われて 

何を作り生んでも 味気ないものになってしまいます

 

体を壊すような労働や 単調で負担が大きい仕事を

無理強いしていたり 勝手な配置転換や

地方へ飛ばされて家族と離れたり

長年勤めて頑張ってきた人を 

平気で退職させたり追い込んだりするなど

 

様々な理不尽で不当な扱いを受けた人々の怒りや不満の叫びがあります

 

『どれだけ働けば 終わりが来るのか?』

 

『いつになったら ゆっくり休めるのか?』

 

『命令ばかりしてないで お前がやってみろ!』

 

『私達はロボットや歯車ではない!』

 

『生身で生きている人間なんだ!』

 

『こんなに働いても 食っていくのが生活していくのがやっと』

 

『給料が安すぎる!経営者出てこい!』

 

『これでは 家族を養えない!子供も産めない育てられない!』

 

『もし病氣や怪我したら どうするんだ!』

 

『人の人生をなんだと思っているんだ!』

 

などなど多くの人が そのストレスや

葛藤の感情の氣を抱えて苦しんでいます

 

 

そもそも私達の社会では 一人一人が本当に大切で

ありがたい貴重で尊い存在だと 

感じていないのが最大の問題なのです

 

経営や生産や売り上げなんかよりも

そこにいる全ての人達を 同じ人間 

同じ生命 血の通っている生きている人間として

ちゃんと見てない・扱ってないからです

 

つまり最も大切な私達一人一人の生命が

経営よりも軽んじて扱われてきたからです

 

本当に私達一人一人が生命・存在として平等ならば

自分がやって無理できつい苦痛な仕事は 

人にさせる訳がありません

いや できる訳がないのです!!

 

同じ職場で働いている人達 一人一人に

『今日も会えて良かった』

『あなたがいてくれて 私も嬉しい』

『同じ場所で 共に仕事できる事に感謝しています』

『私達の職場に来てくれて ありがとう』

といった気持ちをいつも感じているかどうか

 

たったそれだけのこと なのだけれど

 

でも それこそが最も大切で

 

一人一人の生命や存在・健康と幸せが全てであることを

 

この経済中心の社会が 

 

忘れてしまっているのです

 

 

 

私もかつては 様々な工場で働き

色々と肉体労働や 機械の操作をしたり

きつい夜勤をこなしたりしてきました

 

自分の場合 その仕事に興味を持ち

自ら楽しんで仕事をしていましたが

どこの職場も3年と持ちませんでした

 

頑張って休まず働いても 派遣社員なので

3年で職場を変えるはめになったり

 

また行った先で頑張って認められても

現場のリーダーを任されるようになっても

本当にそれで満たされることは ありませんでした

 

一つは 私自身が本当にやりたい事があったことと

それぞれの職場で 様々な理不尽なものを見たり

味わったりしてきたからです

 

私の勤めていた工場でも 

無理な肉体労働をさせていました

 

自分の場合 体力と氣合いで

楽しんで仕事をこなしていたのですが 

それだとかえって職場に都合のいい戦力になっていただけで

その職場の環境が変わる訳では ないからです

 

そうやって多くの人が 組織や職場の都合にそって

都合のいい戦力として頑張り過ぎて やがて疲労して

自ら生命の輝きを失って 命を縮めてしまいます

 

そのような毎日を社会全体が送り

多くの人々が 目の輝きを失って

死んだように生きています

 

そこから抜け出すには 本当に自らのやりたい何かに向かうことと

人が人や経済に支配されないことが最も大切になります

 

では何故私達の社会は こんなに無理なものを強いてまで

組織や何かを大きくしようと 躍起になっているのかというと

そもそも経済やビジネスといったものが 

人々の欲望に沿うものになっているからです

 

では社会を動かしている欲望が どこから生まれるのかといえば

心と体 思考と感情の分離から生まれます

 

本当の自分自身で生きて やりたいことをやり

あるがままの自分でいるならば

常に満たされていて 必要以上な何かは欲しなくなるのです

 

心と体 思考と感情が一体となり

『一つの自分』に統合されていくと

いつも自分自身の中に

幸せや喜びや感謝で満たされて生きるようになります

 

しかし 本来の自分に沿って生きていないと

その心の虚しさや隙間を埋めるように

自分の外側から何かを欲するようになってしまうのです

 

必要以上のお酒や煙草や 

恋や愛からではなく欲望で異性を欲しくなったり

もう既に十分にあるのに 家や車や何か使わない物を欲しくなったり

必要以上に食べすぎたり グルメにこだわり過ぎたりするなどなど

 

自分じゃない何かで 自分を満たそうとするのです

 

そうして経済が回っているのが厄介で 

なかなか人が眠りから 覚めにくいのです

 

誰しも本当の自分の中に愛や夢のエネルギーやパワーがあり

 

自分自身の夢に向かいながら 

 

ありのままの自分を愛し

 

ありのままの目の前の存在を愛して

 

自分自身の音色を奏でて

 

みんなそれぞれが本当の自分の音色を表現しながら

 

世界が自然が人々がみんなが一つの曲を演奏するような

 

分かち合い喜び合う社会に世界に

 

いずれそうなるように

 

みんなでそういう世界を築いていくでしょう