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清流氣功 その十 千葉の伝承と歴史ミステリー

今回からは 千葉やその周辺地域に残る

伝承・歴史ミステリーを伝えていきます 

 

 

その昔 花のお江戸時代の四代目徳川家綱の時代

当時の千葉の佐倉藩{千葉県の印旛沼周辺地域}の農民は 

打ち続く凶作と厳しい重税

に苦しんでいました

 

そんな農民達を救うため 木内惣五郎{佐倉宗吾}ら6人の名主達が

立ち上がり幕府に窮状{きゅうじょう}を訴えましたが

その訴状は受け入れられず 

当時禁じられていた直訴を決行しました

 

これにより農民の重税は見直され 農民の願いは叶えられましたが

将軍への直訴で罪に問われた

惣五郎は処刑されることになりましたが

惣五郎の幼い子供たちも処刑されてしまいました

 

それから100年後の1752年 失政を悔いた佐倉藩から

惣五郎に【宗吾道閑居士】法号諡号{しごう}され

『宗吾様』と呼ばれ 今も多くの人に慕われています

 

 

戦国時代から ようやく平和になり町人文化が栄えた

花の江戸時代でも その時代の表と裏の顔があり

地域側の視点からの歴史は 我々のよく知っている

江戸幕府の視点の物語では描かれない

様々な歴史があります

 

千葉は お江戸のすぐお隣であり

名産の醤油やお米や海産物を運んでいたと思われますが

それでも 農民は苦しい生活を送っていました

 

やはり地域と都では 格差が大きかったのが伺えます

そんな中で凶作が続くと重税が重くのしかかり

自分達が生きていくのも

ままならない現状があったのでしょう

 

 

続いてのストーリーは 

龍角寺伝説と印旛沼の龍伝説です

709年当時の下総国埴生群

{同じく印旛沼周辺地域の成田寄り}に

空から降りてきた龍女が一晩で建てた龍閣寺

というお寺がありました

 

聖武天皇の頃 ひどい干ばつが続き龍女が建てたとされる

龍閣時に雨乞いが命じられ 

釈明上人{しゃくめいしょうにん}が

法華経を唱えていると

印旛沼の主である龍が大きな老人の姿で現れ 

 

『おかげで罪が消えた龍王に逆らってでも

人々を救う為に雨を降らせる

 

と言って姿を消したかと思うと 

天に昇っていく龍が現れ 雷に打たれて 

体を三つに引き裂かれた後 

七日七晩雨が降り続きました

 

雨が止んだ後 印旛沼の周りに落ちていた

龍の頭と腹と尾をそれぞれ龍の望み通りのお寺に祀り 

龍の頭を納めた龍閣寺は龍角寺となり 

龍のお腹を納めた地蔵堂竜腹寺

龍の尾を納めるお寺を龍尾寺

それぞれ名乗るようになりました

この後に印旛沼から たびたび龍灯{火の玉}

現れ三つに分かれてそれぞれのお寺に飛んで行きました

 

この印旛沼の主の龍は 日頃から人の姿で村人達を訪ね

楽しく過ごしていたのですが 

龍王が降雨を止めてしまい困っていました 

印旛沼の龍は優しくしてくれた村人への恩返しとして

雨を降らせるが大龍王に逆らうので

体が三つに裂かれるだろう』

と言い残して村人の前から去り

その通りに大龍王の怒りで三つに裂かれたのですが

雨を降らせ作物が蘇り 村人が救われたのでした

 

龍角寺の創建が709年なので 宗吾様の時代と大分離れているのですが

民の為に命を懸けてお上に立ち向かう姿勢と 

ばらばらになった龍の体と 子供たちまで処刑された

宗吾様の家族がシンクロしてきます

 

地元に昔から住んでいる人々は みな知っている話ですが

是非千葉の印旛沼周辺地域に来ることがあれば

当時の歴史に思いを馳せて 

訪ねてみるのもよろしいかと思います

 

では今回の舞台になったお寺を紹介します

 

宗吾霊堂 |FEEL成田 成田市観光協会公式サイト

千葉県成田市宗吾1-558

 

龍角寺/千葉県公式観光情報サイト-まるごとe! ちば-

千葉県印旛郡栄町239

龍角寺には 落ちてきた龍の頭部{顎の辺り}が

今も納められています

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竜腹寺の梵鐘/千葉県公式観光情報サイト-まるごとe! ちば-

千葉県印西市竜腹寺626

 

龍尾寺/千葉県公式観光情報サイト-まるごとe! ちば-

千葉県匝瑳市大寺2856

この龍尾寺は印旛沼から けっこう離れていますが

昔は印旛沼香取海と呼ばれ 茨城県霞ヶ浦とつながっていて

かなり大きかったようです

この辺の話は 次回に詳しく伝えていきます

 

次回は成田山香取神宮そして

鹿島神宮の歴史ミステリーを伝えていきます

その裏に隠された秘密を紐解いていくのでお楽しみに