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清流氣功 その十四 香取・鹿島の神刀流の謎

前話で香取神道流と鹿島新当流の話をしましたが

どちらも『しんとうりゅう』です

 

これは 飯篠家直{いいざさいえなお}が創始した

香取神道流を学んだ塚原卜伝{つかはらぼくでん}が

飯篠家直をリスペクトしての鹿島新当流であり

神示の『新しい心で事に当たる』から来ていますが

 

しんとうりゅうの言霊そのものに意味があり

しんとうりゅうは『神刀流』であると思われます

 

この神刀流の神刀が 鹿島神宮の宝物館に奉納されています

{今は休館しています}

 

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この御神刀は 通称 韴霊剣{ふつのみたまのつるぎ}と言い

全長2.71mもあり 何度か拝見致しましたが

あまりの大きさに 普通の人が扱うには大きすぎて

鬼のような巨人じゃないとまともに振れないでしょう

 

この韴霊剣が出てくるのは 

大国主の国譲りで高天原から派遣された建御雷神が

葦原中国{あしはらのなかつくに}を制定するのに使われました

⊛この時は十握剣{とつかのつるぎ}と呼ばれている

 

その後は 神武東征でイワレビコ{初代神武天皇}一行の前に

大熊が現れて兵士達が氣を失い危機に陥った時に

御雷神が高倉下{たかくらじ}を通して イワレビコに与え 

荒ぶる神を切り倒し兵士達は意識を回復させました

 

この韴霊剣は布都御魂

{ふつのみたまのつるぎ}とも表記され

奈良県天理市石上神宮に鎮座し祀られていて 

鹿島神宮の韴霊剣は平安時代作の二代目らしいです

 

この韴霊剣が経津主神そのものだと感じております

{ふつのみたま}と{ふつぬし}のふつの音は

刀剣の鋭さを表しており 

韴霊剣=布都御魂剣を神格化して経津主だと思われます

 

群書類従二十二社註式{ぐんしょるいじゅう}

【⊛古代から江戸初期までの古書を編纂したもの】

によると

石上社 大和山辺郡石上坐布都御魂神 

御鎮座 一坐布都神 常陸国 鹿島大神同体也

 

とあり石上神宮の神剣 布都御魂剣の神は鹿島の神と同じ神と言っていて

 

鹿島の大神 御雷神=布都御魂大神=経津主神

であることを伺わせます

   

古事記では 建御雷神の別名で建布都神{たけふつのかみ}や

豊布都神{とよふつのかみ}とも呼ばれ 

出雲国風土記では 経津主を布都努志と表記していて

この三神が同一の神か 近い存在であると思われます

 

布都御魂大神を祀る石上神宮は 古代物部氏が祭祀していて

その祖先・総氏神饒速日命

{にぎはやひのみこと}になります

 

石上神宮布留御魂大神

   {ふるのみたまのおおかみ}

も祀っていて これは十種神宝{とくさのかんだから}であり

饒速日尊{にぎはやひのみこと}が 

天照大神から預かり ニニギノミコトよりも先に

天磐船{あめのいわふね}に乗り天下ったとされています

 

石上神宮[いそのかみじんぐう]公式サイト|奈良県天理市

 

この石上神宮の他にも大阪府石切神社磐船神社など

石切劔箭神社(石切さん)

磐船神社

饒速日にまつわる神社があり 

天照国照彦天火明櫛玉饒速日

{あまてるくにてるひこあまのほあかり

くしたまにぎはやひのみこと}

とたいそうな名前からしても

古代の王だったことが伺えます

 

これだけ素晴らしい神名がありながら

石上神宮に祭神として祀られているのは

上記の神宝や神剣の神霊以外に 

饒速日の息子の宇摩志麻治命{うましまじのみこと}

 であり 歴史の改ざんの臭いがします

 

石上神宮はかつて本殿が無く 禁足地に主祭神が埋没され

明治7年に神宝の剣や勾玉を発掘してから 本殿を造ったとされていて

ここからも 本来の主祭神である饒速日が封印された感じがします

 

またこの奈良県天理市の他にも岡山に石上布都御魂神社があり

鳥取にも石上神宮{今は大原神社}があり 

それぞれ由緒があるので この饒速日の謎に関しては 

日本古代史の最重要な歴史とエネルギーなので

次回詳しく特集致します

 

 

続いては 建御雷神と経津主神に関する神話です

日本書紀天津甕星{あまつみかほし}

という悪い神様がいて

別名 天香々背男{あめのかかせお}と言い 

この神を征するために斎主神{いわいぬしのかみ}を

香取の地に鎮座するとあり 

この斎主神が経津主神の別名となっています

 

また建御雷神と経津主神が地上を平定する時 

星の神・香々背男が抵抗したが

倭文神・建葉槌命{しとりがみ・たけはずち}

を遣わせて服従させたとなっています

 

この二つの話から 斎主神=建葉槌命経津主神

と受け取れます {あくまで仮の話よ}

 

この神話の舞台となった神社が茨城県日立市

大甕神社{おおみかじんじゃ}です

大甕(おおみか)神社

ここの社伝によると 創建は神武元年の紀元前660年となっており

当時 天津甕星は大甕山から東北一体の主だったらしいです

 

また天津甕星は 天に輝く星で金星や北極星の意味もあり

星の神・香々背男は朝廷に背く星の神とも取れます

 

これらのことから 

直感的に天津甕星饒速日だと感じました

歴史の時間軸的な解釈というより 

感じたエネルギーがです

 

⊛これだけだと説明が足りないので 

また次回に詳しく書いていきます

 

 

私の場合 先に直感的に感じて後から 

その根拠になるものを探して それが見つかると

『なるほどね』という感じで 腑に落ちるのですが

一人一人感じ方 歴史の捉え方は違うので

私の書いているものは あくまで一つの可能性で

絶対ではありませんから 力を抜いて気軽に読んで下さいね

 

と言う訳で 次回は饒速日の秘密に迫っていきます

今回の記事も うちの守護霊に確認を取りながら書いています

 

恒例の奴ら{守護霊}の採点では98点だそうです

どうもこの歴史の謎解きが 守護霊のエネルギーをより解放させ

自分自身とつながり波動を上げていくようなので 

奴らからのミッションだと思います

 

もはや自分のエネルギーなのか守護霊のエネルギーなのか

区別がつかなくなって来ていますが

より深い信頼関係を築いていきたいと思っています

とは言っても 先にあるのは自分の意識であり

自分の波動に合わないものは つかないので

どこまでいっても自己の意識と波動にかかってます

 

ではまたね