勇敢なる旅人よ
今回は 一息ついて今までの旅の中で出てきた大切なポイントを
【波動と合気の原理】
として振り返りながら学んでいくぞよ
まず最初に知って欲しいのは 氣や波動の世界では
【好きと嫌いは同じような現象】
になるってことなのだ
具体的には どういう事なのかと言うと
例えば あなたのすぐ近くに蜂が飛んできたとしよう
あなたは思わず蜂を恐れ
【緊張】した氣や波動を出してしまう
すると蜂はあなたの氣に反応して ますますあなたを追って来る
あなたはさらに怖くなり 力んだ動きで
追い払おうとしたり 逃げようとしたりすると
さらに蜂に追われて 挙句の果てには蜂に刺されたりするのだ
この時 何が起きているのかと言うと
蜂を怖がり拒絶しようと嫌えば嫌う程
あなたが自ら蜂を呼び寄せる
つまり蜂に対する
【恐れや嫌悪感】が
蜂を引きつけ さらに攻撃的にさせるのだ
ここで先日の私の実体験の話をしよう
自宅の井戸のポンプのカバーを補修しようとしたら
井戸のポンプに被せてある
古い段ボールの中に蜂の巣があるみたいで
そこからスズメ蜂が頻繁に出入りしながら 飛び回っていた
私は蜂が体の近くを飛んでいようが 氣にも留めず
平常心で何事もなかったかのように
井戸のポンプのカバーを自作で補修したのだ
この時私には 蜂が私に用がある訳じゃないのを感じていたので
何も恐れなかった
それよりもカバーを作ったことで 蜂の巣が雨に濡れなくなって
心がより軽くなったのであった
ここに波動と合気の原理があるのだ
あなたが何かに強い恐れや嫌悪感を抱き
そのような氣や波動を発すると
皮肉にもその嫌いなものや
起きて欲しくない事・避けたい現象を
自ら引き寄せてしまうのだ
つまり何かに対する強い
【抵抗波動や対抗感情】がそれを呼ぶのである
第12話『ハートの空間と自由意思』で話したように
全ての元【原因・理由】は 自らの内にあるのだ
さらに【合気の原理】で先の例を見ていくと
蜂に対して 恐れから力んだ動きで
追い払おうとしたり逃げようとしたりしても
逆に蜂を攻撃的にさせてしまう
これは何故かと言うと
こちらの恐れの氣に反応した為であり
蜂に対して攻めても逃げても それは【恐れ】からの動きであり
その動きには必ず緊張や力みが入り
その氣や波動が蜂に伝わるからなのだ
合気では相手に攻めるのも【闘争であり】
相手から逃げるのも【逃走】であり
どちらの【とうそう】も恐れからの動きとなる
またこちらが相手に対抗すればする程
相手の力はこちらの力に比例して大きくなり
そのやり取りは
通常の格闘技やスポーツと同じようになるのだが
合気では 自分に向かって襲ってくる相手に対して
『和の心』で向かい合い逃げも隠れもせずに
心も体もリラックスして優しく柔らく
相手を傷つけることなく制して
技や術をかけられた相手は 訳も分からず笑ってしまうのだ
先日の井戸のポンプのカバーを補修した時も
私は蜂に対して
いつも通りにリラックスしていたのだった
十年位前の話になるが 私は幻の滝と呼ばれる早戸大滝を見に行く為に
神奈川県の宮ケ瀬の奥の早戸川沿いを片道2時間位ハイキングしていた
真夏の暑い日だったので 半袖短パンの近所を散歩するような服装で
川沿いの山道を歩いていた
しかしすれ違うハイカーの人達はみな 登山者用のしっかりとした服装で
長ズボンに厚い靴下とシューズ 熊よけの鈴などを装備していた
ハイカーさんの一人と帰り際にあいさつしたら
「よくそんな軽装で ヒルとかにさされませんでしたか?」
と聞かれたのだが
私はヒルのことは ちらっと知っていたが
全く意識していなかった為か
ひとつもさされていなかったので
「どうやら 大丈夫みたいです」
と返事したら たいそう驚かれていた
ちなみに同行者の足首辺りは
数ヶ所ヒルにさされた〔吸われた〕らしく
多少血がにじんでいた{痛みはない}
この日のハイキングで 私はただ
純粋に自然とふれ合い楽しんでいた
夏の山道や川のせせらぎ 鳥の声や虫の鳴き声
澄んだ空気に大滝の天然シャワーの水しぶきを
自然の中に身も心も溶け込むことにより
波動が高くなっていたのだろう
私は山や川などの自然に敬意を払い
最低限の警戒はするがそれ以上の恐れは抱かないのである
それよりも自然とのつながり
一体感の中に極上の喜びを見出すのだ
波動・周波数が高い程
喜びや充足感 幸福感が高まり
生命力も高まり
怪我や病氣もしにくくなるのだ
喜びの高いエネルギーに包まれている時
恐れは影を潜め 全てから守られる
自然や生命との『至福の一体感』
のエネルギーの中には
敵も味方もなく全てが溶け込んでいるのだ
逆に強い恐れを抱いていると 自ら恐れているものを呼ぶ
それは疑いや恐れと言う【幻】を信じている為
恐れは恐れを呼び 疑いは疑いを呼び
恐れや疑いの氣や波動
を出しているから それを引き寄せてくるのだ
恐れが何故 幻なのかと言えば
まだ起きてもいない未来
のあれやこれやを心配しているからだ
私達にはいつだって『今』しかないし
『今』しか生きられないのだが
意識が過去の後悔や傷に引っ張られたり
未来の不安に飛んだりしてしまう
すると意識が『今ここ』に無い為
自分の存在感や生命力が弱くなるのだ
この世界に私達は 【恐れ】を体験しに来て
その【恐れ】を克服しに来てるのだ
次回は どうしたら恐れを克服できるのかを深く探求していくぞよ
では また会おう 勇敢なる旅人よ