引き続き 直感的リーディングであり
絶対ではないので 楽しんで読んでくれるとありがたいです
日本最古の神社・神宮となっていて
最も古い神宮らしいです
創建に至っては 鹿島神宮が神武元年
香取神宮が神武18年となっており
初代 神武天皇の時代の
大昔からの歴史があるようです
図のように 香取の海を挟んで北東に鹿島神宮があり
南西に香取神宮があります
このような場所に日本最古の神宮があるのか不思議な話です
昔の日本の中心は 京都や大阪・奈良などの
近畿地方に集中しており
地方の外れである千葉や茨城に
何故最も格式の高い神宮があったのか?
今回は その歴史の裏側を直感で紐解いていきます
原住民である縄文の民が暮らしていました
彼らは 自然を愛し自然と共に暮らしていました
そこに大和から使者がやってきますが
彼らは稲作民であり 縄文人との文化の違いで
衝突していきました
土着の縄文人は 自然と調和した生活をしていて
森の恵みや海の恵みや狩猟で十分に生活出来ていたのでした
彼らは 田畑を開墾せずに自然の恵みで暮らし
自然に感謝し 自然を神として崇めていました
{地域によっては 稲作をしていた縄文人もいました}
そんな彼らに古代の龍は心を開き
必要な時に必要なだけ 雨を降らせて
彼らが生きていくのに
必要な分の恵みを得るようにしていました
自然と彼ら縄文人は龍や水の神を祀るようになりました
そして龍や自然の寵愛を受けて
いつも自然と共にあり 人口も一定のままでいました
そんな自然と共にあった彼らには
稲作民の文化はなかなか受け入れられないのでした
稲作民は人口が多く その為に田畑が必要であったことや
『何かを得るには
何かをしなければならない』
という信念がありました
自然の恵みに感謝し調和して生きている縄文人の在り方が
理解できなかったのです
こうして対立になり 大和からの稲作民が数と武力で
地域を支配下にしていきました
その時の縄文人を制圧する為の拠点が
香取と鹿島の砦でした
大鯰{おおなまず}となっていますが
要石に封じられているのは 龍だと言われていたからです
そして龍の頭と体をそれぞれ
香取と鹿島の拠点に要石で封じました
祟らぬように鎮魂し 神宮を建てて祀り
関東の拠点にしたと思われます
この話は あくまで私が感じたもので絶対ではありませんが
印旛沼の龍伝説とよく類似しています
香取ー鹿島の龍神も地元の民を愛していました
そして 頭と体に分かれてしまいました
将門公伝説の首塚と胴塚ともシンクロしてきます
その後時代は平安初期 朝廷から派遣された
坂上田村麻呂{さかのうえのたむらまろ}が
関東・東北の蝦夷{えみし}
を討伐していきますが
その時に強く抵抗したのが
悪路王もしくは【アテルイ】でした
田村麻呂は アテルイが優秀な人物だと見抜き
アテルイの目の前で築城し 力の差を見せつけることで
アテルイを説得し降伏させました
田村麻呂は朝廷に アテルイに東北の管理
をさせるように進言しますが 聞き入れてもらえず
アテルイは処刑されてしまいました
そのアテルイ【悪路王】の首を木製の彫刻で復元したものが
鹿島神宮に祀られています
アテルイと悪路王は エネルギーが同一みたいなので
アテルイと悪路王を同一と捉えています
アテルイは史実で登場し
悪路王は伝説上の人物だと思いますが
鹿島神宮に悪路王の首として長年 奉納されており
長年の人々の想念で悪路王の集合意識が出来上がっており
史実のアテルイと同一のエネルギー
になって記憶されている為 エネルギーが同一だと推測されます
将門公の首塚もそうですが 悪路王の首も
関東の結界として
組み込まれたものだと思われます
ここでシンクロしている歴史をざっとまとめると
{今は龍神も上に上がったようです}
将門公伝説~宗吾様となります
壮大な歴史の流れを感じてもらえたでしょうか?
実は まだこの歴史ミステリーには秘密があり
次回にまたお伝えします
ではまた お楽しみに